観光サイクリングin小田原の下見

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戦国時代には後北条氏の城下町、江戸時代は東海道の宿場町、明治時代に政財界人が建てた邸園、昭和9年の丹那トンネル開通によって東海道本線が小田原経由に、そして昭和39年に東海道新幹線が開通。歴史の舞台としても重要な小田原、時代の変遷を経てもなお多くの魅力を残しています。2003年に完成した橋上駅舎は近代的(古き良き小田原駅を知る人には賛否両論があると思います)。改札前には折り畳んでの携帯がしやすく江戸時代に大人気となった小田原提灯(デカイ!)がお出迎え。

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小田原観光といえばまずは小田原城。戦国時代から江戸時代にかけての平山城。明治6年の廃城令(正式名称は全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方)より2年早く小田原城は廃城となりました。主な理由は財政難で修復困難だったため。天守は昭和35年に復元されたもので、内部にはたくさんの資料が展示され小田原市街の展望を楽しめます。

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清閑亭(せいかんてい)は、明治39年に建てられた政治家・黒田長成(くろだながしげ)の別邸。福岡県出身の黒田長成は赤坂の本邸のほか、福岡市・小田原市・沼津市に別邸を構えていたそうで、現存するのは小田原の清閑亭のみです。丁寧な数寄屋造りの素晴らしい邸宅で内部も見学ができます。

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八幡山古郭(はちまんやまこかく)。線路を挟んで対岸には天守がドーン!撮影地としても適したビュースポットです。小田原城は、大森時代(1416年頃〜1496年頃)、後北条時代(1496年頃〜1590年)、前期大久保時代(1590年〜1614年)、番城時代(1614年〜1632年)、稲葉時代(1632年〜1686年)、後期大久保時代(1686年〜1867年)と当主を変え約450年の歴史を持つ。特筆すべきはやはり後北条時代(鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏とは遠い血縁関係はあるが後裔ではないので区別するため「後」をつけます)。

北条早雲(初代)、北条氏綱(二代)、北条氏康(三代)、北条氏政(四代)、北条氏直(五代)まで、戦国時代に関東地方を支配した北条五代は、上杉軍や武田軍、そして有名な豊臣秀吉の侵攻に備えて城下をも取り囲むように周囲9kmにも及ぶ堀と土塁による防衛戦「総構」を構築する。この時点では我が国最大の城郭とあるのですが、現在でも小田原城の周辺には総構などの土塁や堀が多く点在して観察することができます。

ちなみに大正9年に熱海線(後の東海道線)の線路ににより本丸と八幡山が分断。

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古稀庵。明治40年に建てられた国軍の父とも称される山縣有朋(やまがたありとも)の別邸。自然主義庭園が見所。同じく山縣の所有であった東京・目白の椿山荘や、京都の無鄰菴と共に、近代日本庭園の傑作とする評価もあるそうです。流水を使用した庭園造りが特徴で、水源として荻窪用水を風祭から取水し、その水を古稀庵まで総延長約1,300mに及ぶ私設の水道を引き「山縣水道」と呼ばれていたそうです。凄い情熱ですね。

山縣有朋は豊臣秀吉に立身出世が似ており自身を重ね合わせていたそう。古稀庵から石垣山を真正面に眺められることが自慢のひとつで、また秀吉の朝鮮出兵が失敗に終わったことと自らが日清戦争や日露戦争で指揮を執り大勝したこととを対比して、自らが秀吉にも劣らない人物であると自負していた、といわれていたそうです。

古稀庵は毎週日曜日に庭園が一般解放されています。(100円)

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内野邸。明治36年に建てられた醤油醸造家の邸宅。
週末は公開されている日もあるのでご興味のある方はネットなどでチェック!(150円)

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明治26年創業の老舗である「だるま料理店」。
大正15年に建てられた主屋が立派です。(国の登録有形文化財)
玄関に向かって右手に「だるまさん」、左手に「おかめさん」が出迎えてくれます。

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いただいたのは「天丼セット」で1500円+税。
基本的に天ぷらとお寿しの組み合わせでメニューが構成されています。
1階は食堂、2階はお座敷。お座敷は平日2500円より、土日祝日はお料理4000円より食事することができる。その場合、別途サービス料が10%かかりますが、ゆっくりお酒でも飲みながらという楽しみ方も粋ですね。ランチ時には大勢の人が訪れる1階は順次ご案内で比較的ちゃちゃっと食事を済ませる方が多かったです。提供時間も早い!

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早川口遺構。総構の南西に位置し、低地部で見ることのできる数少ない土塁跡。
二重外張(ふたえとばり)と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造。

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石垣山一夜城。標高が262mなので自転車でガッツリしたヒルクライム。しかも傾斜がキツめの坂が続きます。休み休み登りましょう。

豊臣秀吉が1590年の小田原征伐の際に築城。小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれています。実際は約3~4万人を動員し約80日で構築されたとか。石垣や櫓(やぐら)を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城です。

大正12年の関東大震災で数多くの石垣が崩壊しましたが、本丸、二の丸、南曲輪、井戸曲輪など雄大な石垣も残っています。なかでも井戸曲輪は、底部に湧き出る湧水の清浄さを守るためにわざわざ石垣をめぐらせた極めて稀少な遺構です。

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一夜城ヨロイヅカファーム。2011年11月にオープンした人気スポット。
小田原から山を登らなきゃいけない立地ながら大勢の人が訪れます。有名なパティシエである鎧塚俊彦さんが展開するパティスリー&レストラン&ブーランジェリー&農産物直売所がコラボレーション。さて、肝心のケーキは流石!しっかり甘くて本場仕込みのお味。

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早川石丁場群。江戸城の石垣用に巨石を切り出していた生産遺跡です。「角石」と呼ばれる石垣の角の部分に使われる大きな石を専用に採取した特別な石丁場。ここで切り出された石は、早川を下り相模湾から海路で遠く江戸まで運ばれました。現在、早川などに残る石は、何らかの理由で江戸城まで運ばれなかった石と言うことができますが、石を割る際に掘られた「矢穴」の痕跡が往時を偲ばせます。

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小田原用水。北条氏康(1517〜1571年)小田原を支配していた頃に早川から水を取り込み小田原城下に水を入れたと考えられています。それ以前にこの上水以外の上水の成立が日本国内で見られないことから「日本最古の水道」とされています。まずは取水口付近。

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取水口付近の板橋地区は用水の流れを観察することができます。(少し下った小田原地区は地中を流れているところがほとんど)

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全国的にも最大規模の空堀である「小峯御鐘ノ台大堀切(こみねおかねのだいおおほりきり)」は、西堀、中堀、東堀の3本の堀からなるもので、保存状態の良い東堀(開発されていない)は遊歩道として公開されています。深さは土塁の頂上から約12m あり、堀の法面は50度という急な勾配の大掛かりなものです。

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蓮上院土塁。総構の東側の低地部に位置している貴重な遺構。
昭和20年の小田原空襲で投下された爆弾が着弾し、残されている土塁の中央部分が大きく損壊しているのが観察可。今現在は住宅地にぽつりと残されています。

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小田原の名産である小田原漆器。
ギャラリースペースがある「漆・うつわギャラリー工房石川」さんに立ち寄りました。

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小田原漆器の歴史は遡ること平安時代と古く、室町時代後期に北条氏の加護のもと塗りの技術も向上し漆器の産地として確立。江戸時代以降は庶民の生活用具として東海道宿の土産品として重宝され、昭和59年には『伝統的工芸品』として国の認定を受けた長い伝統を誇ります。国産の欅(けやき)を主に使用し、丁寧な仕事で作られた素晴らしい品々。素材を生かすため木目が透けて見えてくる摺り漆塗り「木地呂漆塗り」が代表的です。

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お土産にお椀とお箸を買ってみました。何ともイイ感じ!

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丸う田代本店。かまぼこの老舗です。
店内に試食コーナーもあるので味を確かめながらお買い物をすることができます。

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こちらもせっかくなのでお土産を。
さつま揚げ、いさき蒲鉾(季節限定)、平だて(伊達巻きを巻いていないもの)。
さすが老舗のお味。おいしゅうございました。


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池ヶ谷 誠 について

セブンヒルズアドベンチャー代表。東京近郊でアウトドアツアーを企画運営。MTB・トレイルランニング・シャワークライミングなどマルチにガイディングしています。1973年神奈川生まれ。
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