観光サイクリングin川越の集合は東武東上線の川越市駅。西武新宿線の本川越駅から歩いても5分くらいです。駅の周辺は学校が多いので平日の朝はご覧の通りでした。
まずは旧六軒町郵便局から。
昭和2年(1927)の建築。木材店、郵便局、飲食店として活用されてきました。白い外観とおしゃれな出窓が特徴的。
蓮馨寺(れんけいじ)は、1549年に感誉存貞(かんよぞんてい)上人によって開山の浄土宗の寺院。感誉上人は後に現在の浄土宗大本山増上寺の第十世となります。また源誉存応(げんよぞんのう)上人も蓮馨寺を経て増上寺の第12世となり、徳川家康の宗教政策のブレーンとして活躍します。家康が江戸入り後の1598年に増上寺を江戸城の裏鬼門(南西)に移し、1625年に寛永寺を天海の開山によって鬼門(北東)に新たに配します。天海も川越の無量寿寺(現在の喜多院)の住職だったので、四神相応による江戸の町づくりに関わった僧侶が川越にゆかりがあるのは興味深いですね。家康の宗教ブレーン(黒衣の宰相)は存応と天海、そして崇伝です。
おびんづる様は、お釈迦様の弟子の「十六羅漢」の中でも特に神通力が強かったとされる方。撫でると除病の功徳があるそうです。善光寺や東大寺大仏殿のおびんづる様も有名ですね。
喜多院は830年開山と伝わる天台宗の寺院。本尊は元三大師(慈恵・良源)。当初は無量寿寺という寺号でしたが、天海が無量寿寺の北院で住職をしていたことから徳川家康が喜多院と改めます。関東の天台宗の全権を川越喜多院に与え、比叡山を凌ぐ寺院とする野望が家康にはあったようです。写真の慈恵堂は慈恵(元三大師)を祀ります。慈恵は第18代天台座主で比叡山を復興させたことで有名です。1月3日に亡くなったことから元三大師と呼ばれるようになりました。
1639年に建造された多宝塔。
天海(慈眼大師)が亡くなった3年後の1645年に徳川家光の命により建てられた慈眼堂。堂内には木造天海僧正坐像が安置されています。天海は明智光秀の後身説もありますが、会津を領地とした武家の名門である蘆名家を出生とするのが一般的なようです。家康・秀忠・家光という徳川三代将軍に仕えました。将軍からの不老長寿の問いに対し、家康には納豆談義(家康に納豆を献上したことによる)、秀忠には「長命は 粗食 正直 日湯 陀羅尼 時折 ご下風あそばさるべし」、家光には「気は長く つとめはかたく 色うすく 食細くして 心ひろかれ」と答えたそうです。長寿だったとされる天海は108歳まで生きたとするのが定説です。
1638年に起こった川越大火により山門を残し喜多院はほぼ全焼します。徳川家光は喜多院の再建に着手し、江戸城紅葉山の御殿を喜多院に移築しました。徳川家光公誕生の間や春日局化粧の間に拝観することができます(内部の撮影は不可)。
日本三大羅漢に数えられる喜多院の五百羅漢。1782年から1825年の約50年間にわたり建立されました。538体の石仏が鎮座しています。石は浅間山などで採れる安山岩のようです。明治時代の神仏分離令に伴う廃仏毀釈の運動で頭部が壊されている仏像が多いことがよく見ると確認できます。
東照宮は徳川家康を祀る神社。徳川家康が1616年に駿府城で亡くなると一旦久能山に葬りましたが、1617年に日光山に改葬の途中の4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営みました。そのことから境内に仙波東照宮が造営、現在の社殿は川越大火の後の1640年に再建されました。家康の神号を巡っては、天海と崇伝で激しく論戦(権現か明神か)し天海が勝ったと伝わっています。仙波東照宮は日曜・祝日のみ門が開かれます。
1632年に天海僧正により建立された山門。1638年の川越大火の焼失を免れた喜多院で現存する最も古い建造物です。山門の手前には仙波日枝神社。赤坂の日枝神社は1478年に太田道灌がこちらの日枝神社から分祀したことが始まりとされます。比叡山は昔は日枝山(日吉山とも)と呼ばれていたので天海が唱えた山王一実神道と合致する喜多院でございました。明治の神仏分離令により日枝神社と東照宮の経営は別になっているようです。
昼食は武蔵野うどん真打さん。
早めの昼食時間を予定していますので朝食の量を加減しておいてくださいね。
基本は肉汁うどん。
(小)300g(並)400g(中)600g(大)800g
写真は(小)。鴨汁うどんもオススメのようです。
昼食後は新河岸川サイクリング。「九十九曲がり」と呼ばれるほど蛇行した川は、川越大火による喜多院再建のための資材を江戸城から運搬するため松平信綱が指示して造成。川の流れを滞らせゆっくりすることで水量を保ち船の通行に適した河川にしました。舟運によって江戸時代の川越は発展しましたが、鉄道が開通してからは舟運は衰退。洪水対策として河川改修が行われ現在の曲がりの少ない流れに変わりました。廻船問屋の伊勢安は明治3年(1870)の建造。
福岡河岸記念館。福岡河岸に三軒あった廻船問屋「福田屋」さんの建物が保存・公開されています。明治初期に建てられた主屋と明治33年頃に建てられた木造3階建の離れ。
内部も公開されていて廻船問屋の豪商だった往時を偲ぶことができます。書院の間には「神道無念流道場壁書」という長い額が掛けられており、水戸学の藤田東湖が写したといわれています。文武不岐の精神が川越にも影響を与えていました。
川越城本丸御殿。現存する御殿は全国で二条城・掛川城・高知城・川越城の4棟のみですからとても貴重なものです。現存天守は12なので価値を感じますよね。川越城は古河公方足利成氏に対抗するため1457年に太田道真・道灌によって築城。江戸時代に最盛期を迎えますが、明治時代の廃城令によって川越城の大半は消失しました。この本丸御殿も1/6になったそうです。本丸御殿の建物は1848年に建てられたもの。本丸御殿とは城主の住居・城主の政務する場・家臣の常駐する部屋など城の中心の役割を担っていました。室町時代以前は、住居は山麓の根小屋、戦いの時は山城に移動というスタイルでしたが、織田信長が安土城を築城して以降は、軍事・政務・住居が同じ城内に設けられるようになりました。
36畳の大広間。来客が城主のおでましまでの間に待機した部屋と考えられています。
本丸御殿の前には三芳野神社。わらべ唄の「とおりゃんせ」はこの参道が舞台といわれています。
「とおりゃんせ」の発祥地は、小田原の山角天神社・国府津の菅原神社も挙げられています。
川越御殿の近くに大正10年(1921)創業の道灌という和菓子屋さんがありますのでお土産タイム。
名物はこの「道灌まんじゅう」と「丁稚芋」。道灌まんじゅうは玄米粉を使用し美味でした!
ついでに「和ッフル」もいただいちゃいました。
川越まつり会館。氷川神社の祭礼として約370年の伝統を誇る「川越まつり」。江戸時代の神田祭と山王祭の影響を受けていると考えられますが、明治時代に入って神田祭と山王祭は豪華な山車から神輿に変わってしまいました(昔は江戸城内にまで入っていたそうです)。川越まつりでは現在でも山車による巡行がされ江戸の風情を残していることに価値があります。山車は全29台。10月中旬の週末に開催される川越まつりでは、全ての山車は出ませんが大きな山車が巡行する江戸時代にタイムスリップしたような祭りを楽しむことができます。
ここからはウォーキングで蔵造りの町並みと洋館を楽しんでいきます。江戸時代の町並み!という感じですが、実は明治26年(1893)の川越大火によって町のほとんどは消失してしまいました。火災を免れた大沢家住宅(唯一の江戸時代の建物)を参考にして明治期に造られた蔵の町並みなのです。
改装中の埼玉りそな銀行蔵の街出張所。大正7年(1918)に保岡勝也の設計による鉄骨鉄筋コンクリート3階建。ネオルネッサン様式です。2024年春には改装も終わるようなので新しい姿を楽しみにしましょう。
山吉ビルは県内初のデパート建築。昭和11年(1936)に保岡勝也の設計による鉄筋コンクリート3階建。イオニア式の柱や唐草のレリーフ、ステンドグラス(別府ステンド硝子製作所)が見所です。
大正4年(1915)に建てられた川越に残る洋風建築として最古のもの。現在はカフェエレバートとして営業されていますが、元々は旧桜井商店の店舗で大正期には猟銃や輸入自転車を扱っていたそうです。ビルの上部に田中屋と書いてありますが、その上に英国王室御用達のラッジホイットワース自転車のトレードマークも彫られています。
川越商工会議所。昭和2年(1927)に前田健二郎の設計によって武州銀行川越支店として建造。鉄筋コンクリート造りで2階建て・地下1階の構造になっています。パルテノン神殿のような重厚感でルネッサンス・リバイバル様式。ドリス式の柱、バロック風の玄関上の飾りが見所です。
シマノコーヒー大正館。元々は昭和8年(1933)に呉服屋さんとして建てられました。隣のいせやさんと各部の高さを揃えているのが印象的。
観光客が多い蔵造りの町並みから外れたところで営業している老舗の芋十さん。昭和の時代は川越のお菓子といったら芋十さんだったようです。
看板商品の芋十まつば。細かく切って揚げ糖蜜をからめた逸品。
そして芋せんべい。カンナで薄くスライスし鉄板で両面を焼きます。サツマイモの保存のために作られたお菓子でシンプルイズベストの素朴な美味しさ。川越土産に芋せんべいを是非!
川越商工会議所別館。昭和2年頃(1927)に銀行として建てられました。定規で線をひいたように水平垂直が強調された建物。
川越キリスト教会。立教大学の礼拝堂を手がけたウイリアム・ウィルソンによる設計。建物は大正10年(1921)のもの。
旧山﨑家別邸。川越の老舗菓子屋「亀屋」の五代目の隠居所として大正14年(1925)に保岡勝也の設計によって洋館と和館、そして庭と茶室が手掛けられたことが評価されています。保岡勝也の川越4部作のうち川越貯蓄銀行は取り壊されたので現存は3軒。こちらでコンプリートです。
写真は小川三知によるステンドグラス。各客室は別府七郎(別府ステンド硝子製作所)の作品。
中成堂歯科医院。大正2年(1913)に建てられました。屋根は天然のスレート、下見板を張り合わせたイギリス風の外壁が特徴的。
川越のシンボル時の鐘は高さ16m。現在の鐘楼は川越大火の翌年の明治27年(1894)に再建されたもの。自動鐘打機により午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日に4回ほど鐘がつかれます。
川越で何店舗も構える菓匠右門でお買い物。熱々の「いも恋」を買って食べ歩きをしましょう。
さつまいも、つぶ餡、山芋ともち米の生地のハーモニー。
スターバックスも川越の町に溶け込んだデザイン。
太陽軒は昭和4年(1929)建造。ピンクの漆喰外壁とステンドグラスが見所です。太陽軒は老舗洋食屋さん。そのうちゆっくりランチやディナーを優雅にいただくのも良いですね〜!
ぐるっと回って大沢家住宅。こちらが唯一の江戸時代の建物。蔵造りの町並みのルーツです。電線も地中化されスッキリしている蔵造りの町並みのメインストリートでした。
こんな流れで開催する川越サイクリング。ご興味のある方はお気軽にご参加くださいませ。