観光サイクリングin深谷の下見

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観光サイクリングin深谷の集合は深谷駅。
東京駅駅舎で使われているレンガの9割は深谷産(日本煉瓦製造)という縁から、深谷駅は1996年に東京駅を模したデザインに改築。2021年に放送された大河ドラマ「青天を衝け」に合わせるように2020年に深谷市本庁舎をレンガを使った建物に改装。さらに2024年に深谷出身の偉人である渋沢栄一が新1万円札の顔に。
近年のビッグウェーブに乗って深谷を巡りましょう。

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深谷といったら「ふっかちゃん」。
2010年6月28日生まれ。「ウサギのようでシカのような架空の生命体」だそうです。
ふっかちゃんのようにサイクリング開始〜♪

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まず最初に訪れるのが尾高惇忠生家。
渋沢栄一の従兄であり学問の師でもあった尾高惇忠の生家。江戸時代後期に建てられたと言われ、非公開の2階の部屋で尾高惇忠や渋沢栄一らが高崎城乗っ取りや横浜外国商館焼き討ちの謀議をなしたと伝わっています。また尾高惇忠は世界遺産となった富岡製糸場の初代場長を務めました。

富岡製糸場の開業当初は工女が集まらなかったのだそうです。フランス人指導者たちが好んで飲んでいた赤ワインを、生娘の「生き血」を飲んでいるという噂が流れていたそうです。尾高惇忠の娘である尾高ゆうが富岡製糸場の第1号の伝習工女となり噂を払拭し、工女の志願が増えていきました。

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裏手には煉瓦造りの蔵。明治21年(1888)以降の建築でイギリス式の煉瓦積み。

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渋沢栄一記念館へ。
渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館として昭和57年(1982)に開館。

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新1万円札で盛り上がった2024年。
資料室をサクっと見学し、要予約のアンドロイド講義へ。

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「論語と算盤」で有名な渋沢栄一。
論語とは道徳、算盤とは利益を追求する経済活動。渋沢栄一の「利潤と道徳を調和させる」という経営哲学をアンドロイド講義で学べます(楽しめます?)。身長153cmの渋沢栄一、70歳頃の洋装の立ち姿。

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昭和2年(1927)、日本国際児童親善会を設立し、アメリカの人形(青い目の人形)と日本人形(市松人形)を交換。親善交流を深めることに尽力しています。アメリカからは約1万2000体もの青い目の人形、日本からは58体の市松人形を贈り合います。しかし昭和16年(1941)からの戦争により日米の関係は悪化、日本では多くの人形が処分されます。全国で現存が確認されている人形は約300体だけになりました。

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渋沢栄一記念館の裏には大きな渋沢栄一像。
近代日本資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一。設立や経営に関わった会社は500以上にも上ります。

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旧渋沢邸「中の家」。渋沢栄一生誕地に栄一の妹夫妻が明治28年(1895)に上棟した建物。渋沢栄一が帰郷した際に滞在し、寝泊まりしました。
内部も見学でき、こちらでもアンドロイドを楽しむことができます。渋沢栄一の雅号である「青淵(せいえん)」は建物の裏にある淵にちなんでいます。

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こちらのアンドロイドは和装でくつろぐ80歳ごろの姿。
深谷市出身の鳥羽博道さん(ドトールコーヒー名誉会長)のポケットマネーで2体のアンドロイドが製作されたとのこと。
外出先でコーヒー飲むなら、しばらくはドトールですね!

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昼食は洋食にしようと思っていましたが、「中の家」の隣にある麺屋忠兵衛さんがオペレーションも含めて考えると良さそうなので、麺屋忠兵衛さんで煮ぼうとうをいただくことを基本路線とします。

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深谷といったら深谷ネギ。一年中収穫されますが、収穫期によって「春ねぎ」「夏ねぎ」「秋冬ねぎ」に分かれます。旬は12月頃から出荷が始まる「秋冬ねぎ」。寒さで甘みが増すのだそうです。

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「葱や けんもち」さんの直売所で購入予定。
ブロッコリーやキュウリも美味しかったです。

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誠之堂・清風亭へ。
東京都世田谷区瀬田にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていたものを深谷市に平成10年(1998)2月から平成11年(1999)8月までかけて移築復元しました。「大ばらし」を応用した日本初の工法だったそうです。
こちらの誠之堂は、大正5年(1916)に渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されたイギリス農家風の建物。設計は田辺淳吉(清水組)。
屋根は宮城県雄勝の天然スレート。外壁には濃淡のある煉瓦をフランス積みし装飾性の高いものになっています。しかも小口面を1cm突き出して積み立体感を出しているそうです。風見鶏の東西南北が篆書風の漢字なのも面白い。

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暖炉裏の外壁には、赤・黄・黒の3種類の煉瓦を用いた装飾積みで「喜壽(きじゅ)」の文字。

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玄関を入ると鳳凰と龍のステンドグラス。
中国では、龍は「男子(皇帝)」鳳凰は「女子(皇后)」のシンボルだそうです。

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次の間には網代天井。数寄屋造りの様式。

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大広間は円筒型の漆喰天井(ヴォールト天井)が目を引きます。朝鮮風の雲・鶴の模様の石膏レリーフが配され、それらが松葉で縁取られています。

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暖炉の両脇のステンドグラスは、中国漢代の「画像石」の図柄を模したもので、庶民貴人と侍者、それを饗応する歌舞奏者や厨房の人物たちの像を図案としています。

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ベランダは東洋趣味風。
素晴らしい建物です。

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清風亭は大正15年(1926)に当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して建てられました。誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるもので、大正12年(1923)の関東大震災の後に建てられたので鉄筋コンクリート造りとなっています。設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時でスペイン風の様式となっています。

屋根はスパニッシュ瓦。オレンジ色ではなく青釉や緑釉のものが使われています。建物の角やアーチの縁は煉瓦ではなくスクラッチタイルで装飾。

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清風亭は鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なもの。
スペイン風ということで、J・H・モーガンの影響も感じられます。

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深谷といえばレンガ。
日本煉瓦製造跡地へ。渋沢栄一らによって日本煉瓦製造株式会社が設立され同工場が上敷免村(深谷市)に建設されました。明治21年(1888)に操業を開始し平成18年(2006)までの約120年間にわたり存続しました。1923年の関東大震災によって煉瓦構造の脆弱性が指摘され、日本煉瓦製造株式会社は秩父セメント(のちの太平洋セメントの一部)を設立し、レンガからコンクリートへとシフトチェンジしていきました。

会社旧事務所は明治21年(1888)に建てられた寄棟瓦葺下見板張りの洋風建築。旧事務所は、工場内で「異人館」「教師館」と呼ばれていたように、ドイツ人煉瓦製造技師ナスチェンテス・チーゼが令嬢のクララと暮らしていた事務所兼住宅。

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旧変電室は明治39年(1906)に高崎水力電気株式会社と契約を結び電灯線を引いたときに建設されました。煉瓦造平屋建の可愛らしい建物。

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富国強兵、殖産興業という政府のスローガンの下に煉瓦の焼成の効率化を図ったホフマン窯。現在は改修工事中で週末のみ一部公開されています(作業上、週末でも公開されない日はあります)。遺構が残っているホフマン窯は、栃木県下都賀郡野木町の旧下野煉化製造会社、埼玉県深谷市の旧日本煉瓦製造、滋賀県近江八幡市の旧中川煉瓦製造所、京都府舞鶴市の旧神崎煉瓦の4基ほどしかなく貴重なものなのです。

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ツアー終盤はグルメ三昧です。
まずは糸屋製菓店。創業明治41年(1908)の老舗です。翁最中・翁羊羹・五家寶・あんドーナツがラインナップ。売り切れ必至のあんドーナツ(あんドーナツ・きな粉&クリームチーズの2種)は予約ができるようなので、ツアーご参加者は事前に予約個数をお知らせいただければこちらで手配しておきます。

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初代店主が愛した能の「翁面」を模った最中。粒餡がたっぷりはさんでいます。

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T’z Bakery KOHSHIさんでパンをお土産に。

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町のパン屋さんという雰囲気ですがクオリティ高いです。
とても美味しいのでオススメです。

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最後はケーキ屋さんのレーヴ・ド・プルミエールへ。

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何はともあれ、ふっかちゃんケーキを食しましょう。
映えること間違いなし!

このような流れの深谷サイクリング。ご参加の皆様、当日はよろしくお願いいたします。


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池ヶ谷 誠 について

セブンヒルズアドベンチャー代表。東京近郊でアウトドアツアーを企画運営。MTB・トレイルランニング・シャワークライミングなどマルチにガイディングしています。1973年神奈川生まれ。
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