観光サイクリングin箱根は、やや体力系なツアー。箱根湯本駅を起点に旧東海道経由で芦ノ湖まで登り東海道を下る約30km(累積標高差920m)と観光サイクリングの中ではタフな行程です。箱根湯本駅は改良工事が近年行われ、とても綺麗な駅前になりました。
箱根湯本駅にまつわるお話。1872年(明治5年)に日本で初めて鉄道路線が開通した(新橋〜桜木町)後、当時の政府は東京と大阪を結ぶ幹線鉄道の建設を計画。当初は中山道ルートが選定されていましたが、トンネル切削などの土木技術が未熟なために、東海道のルートが建設されました。1889年(明治22年)に国府津駅から現在の御殿場線を通り沼津へ抜けるルートになったため、蚊帳の外になったのが小田原や箱根湯本。小田原の有力者が請願し、国府津駅を起点に小田原を通り湯本までの小田原馬車鉄道が1888年(明治21年)に開業します。馬が線路の上を走る客車を引く鉄道。国府津〜湯本間(12.9km)を1時間20分ほどで走ったそうです。馬はさすがの安定した速さですね。そして1900年(明治33年)に電気鉄道になります(日本で4番目と早い電化)。強羅まで路線が延長され、世界屈指の山岳鉄道が開通した1919年(大正8年)に湯本駅は現在の所に移りました。馬車鉄道時代の湯本駅は少し上流の河鹿荘付近にあったそうです。同様に小田原から熱海間も1895年(明治28年)に豆相人車鉄道が開通するのも興味深い。こちらは熱海〜小田原間(25km)を約4時間ほどで走ったそうです。定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すというパワープレイ。しかも登りはお客さんも押すのを手伝ったというのだから面白い。
旧東海道と呼ばれる畑宿を通り箱根峠に至る山道は1618年に江戸幕府によって整備されました。それ以前は湯坂路(鎌倉古道)、さらに前は足柄峠を越える足柄古道が東西を結ぶ道でした。富士山の延暦噴火(800-802)によって足柄古道の駿河側が通行できなくなり、箱根路が整備されたという流れです。明治維新以降、五街道に代わる国道を制定。国道1号に受け継がれ箱根湯本から小涌谷を通り芦ノ湖へ通るルートとなります(1962年に開通した箱根新道も国道1号なのだけど)。
さて、畑宿(はたじゅく)。江戸時代末期から約200年の歴史をもつ箱根寄木細工発祥の町として知られています。寄木細工は、たくさんの種類の木を使い、木材の色や木目を利用して寄せ合わせ幾何学模様を作り、さらに大鉋で薄く削ったものを小箱などに貼るなどした木工芸品。昔はニカワを使い接着するため薄く削ったものを貼る「ヅク貼り」のみでしたが、現在は接着剤が進化したため種板をそのまま削りだした「ムク作り」も増えています。(詳しくは、江戸末期の当初は無垢作りによる乱寄木や単位文様による製品、昭和初期からヅク貼りだそうだ。)
畑宿でも製造販売しているお店は何軒かあるのだけど、個人的にとても気に入ったのは「金指ウッドクラフト」さん。無垢の寄木細工一筋の金指勝悦さんのお店です。体験コーナーも併設されています。ここの作品はとにかくモダンなものが多い。私もついついお土産で茶托を5枚ほど購入。ブログの最後に写真を載せておきますね。
旧東海道ヒルクライムも甘酒茶屋まで登ると終わりは近いです。
甘酒茶屋は江戸初期創業だそうで、現在の店主が十三代目になるとのこと。現在の建物は2009年に改装したものですが、往時の東海道の雰囲気を持たせています。かつては周囲に四〜五軒あった同業の茶店も、ひとつまたひとつと暖簾を下ろし、現在は甘酒茶屋の一軒だけが営業しています。年中無休で日の出から日の入りまで営業。凄いことです。
店内奥には靴を脱いでゆっくりできる座敷もあります。
囲炉裏がなんともイイ感じ。囲炉裏の煙は茅葺き屋根の防虫効果もあるのです。
甘酒は「伝統的な甘酒」。酒粕に砂糖を加えて水でのばす甘酒が一般的ですが、甘酒茶屋の甘酒は砂糖などの添加物は一切なし。麹の発酵による自然な甘みだけで甘酒を作っています。江戸を生きた人々が飲んでいた甘酒の味なのだそうです。1杯400円。
お餅は備長炭で焼いたもの。醤油の「いそべ」、ほんのり甘いきな粉の「うぐいす」。
その他に、きな粉に黒ごまを混ぜた「黒ごま」もあります。お餅2つで500円。
甘酒茶屋の隣には、箱根旧街道資料館があります。
甘茶茶屋は、「仮名手本忠臣蔵」の甘酒茶屋のくだりで、赤穂浪士・神崎与五郎が馬子に言いがかりをつけられたが、吉良討ち入りの大事の前であったため侘び証文を書いたとされる場所である。と人形さん達が芝居を打ってくれています。真相(場所と人が違う)を分かりやすく説明しますと、三島宿で赤穂浪士・大高源吾が、馬子(まご/馬をひいて人や荷物を運ぶことを職業とした人)の国蔵から馬の荷を崩されたと因縁をつけられます。仇討ちという大事を控えていた大高源吾は、争い事は避けなければならず、屈辱に耐えて国蔵に酒代を払い謝った。とのことです。
お玉ヶ池の悲話。
1702年2月10日の夜のこと。箱根関所裏山を越えようとした少女の玉。年齢は17歳。南伊豆出身のお玉は江戸の小松屋に7歳から奉公に出されます。17歳になり「品川宿で遊女になれ」と命じられ、関所を破り伊豆に戻ることを決意するのでした。しかし、あえなく関所役人にみつかり獄門にかけられます。首はこの池の畔にさらされたそうです。不条理と哀れに心を痛めた人々は、以来、池の名前を「お玉ヶ池」、最後の登り坂を「お玉坂」と呼ぶようになりました。
旧東海道を登りきり芦ノ湖へ。
恩賜箱根公園へ。皇室の静養のために1886年に建てられた函根離宮。一定規模の建造物と敷地を有するものを離宮、小規模のものを御用邸と称します。函根離宮は、関東大震災と北伊豆地震により倒壊します。現在は神奈川県立の公園として親しまれています。
アセビのトンネルが素晴らしいです。
公園中央の高台に位置する湖畔展望館。函根離宮の西洋館を模しています。
1階は資料が展示されていて、2階は休憩室になっています(お茶処もアリ)。
2階のバルコニーからは芦ノ湖や箱根外輪山がバッチリ!
天気が良ければ富士山も望むことができます。
園内の二百階段を下りると芦川橋。
江戸時代に造られた名橋といわれる石橋です。箱根町芦川地区に架かっていたものを移設しました。東海道中の三大石橋のひとつに数えられていたそうです。
復路は国道1号を下ります。まずはひっそりと佇む御状石。
源頼朝がこの石の上で書状を書きしたためたと云われています。
御状石からすぐ、今ツアーの最大の見所である元箱根石仏群に到着。
まずは歴史館を見学。館内無料で綺麗なトイレも有ります。さて、元箱根石仏群は、鎌倉時代後期の一時期に集中して造られたことが特徴です。地蔵信仰と深く関わっており、石仏のほとんどが地蔵菩薩です。なぜ、この辺りが地蔵信仰の霊地となったかというと、箱根越えの湯坂路の最高地点に近い場所にあり、険しい地形と荒涼とした風景から地獄とみなされ恐れられていたようです。地獄へ堕ちた人々を救ってくれる地蔵菩薩という地蔵信仰から、この地は地蔵信仰の霊地になったと考えられています。
歴史館の脇に精進池。地蔵信仰が盛んだった頃、鎌倉を極楽に、精進池を地獄に重ね合わせる風習が定着したそうだ。
さて、石仏群を巡っていきます。六道地蔵の覆屋である地蔵堂は室町時代後期の構造を推定して復元されたそうです(平成の修復)。
地蔵堂に鎮座する六道地蔵。1300年に造立。
復元修理はされていますが、経年劣化の少ない安山岩ならではの立派な磨崖仏です。
天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。
6つの道を輪廻して苦しむ人々を救ってくださるのが地蔵菩薩です。
八百比丘尼の墓(宝篋印塔)。1350年に造立。
平安時代初期に空海が請来した「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」というお経を内部に収めた塔が宝篋印塔。礼拝することによって、罪障を消滅し、苦を免れ、長寿を得るなどして、この信仰は広まりました。この宝篋印塔の上部は残念ながら遺失。
八百比丘尼(やおびくに)とは、若狭国(福井県)で八百歳の長寿を得た伝説上の女性。
昔、ある漁師が人間の上半身を備えた魚を釣り上げます。誰も気持ち悪がって食べませんでしたが、20歳前の少女が知らずにつまみ食いをします。すると少女は20歳前の姿のまま年を取らなくなったそうです。100歳を過ぎても20歳前の姿だったために、周囲からは化け物扱いされてます。それ故、悲しんで髪を落とし尼になったそうです。その後は諸国を巡り、仏の教えを説き人々に奉仕して過ごします。彼女は幾度となく自殺を図りましたが、何をしても死ぬことはできなかったそうです。 800歳のときに若狭国は小浜の寺にあった洞窟に入り、そのまま行方知れずとなったとか。
応長地蔵。1311年に造立。
中央に1体、右に小さく2体の計3体の地蔵菩薩。
多田満仲の墓(宝篋印塔)。1296年に造立。
平安時代中期の武将である多田満仲は、源頼光の父。源頼光は、あの金太郎の主人にあたります。多田満仲、曽我兄弟、八百比丘尼など俗称が多い石仏群ですが、江戸時代に入り旅人や湯治客が物見遊山で立ち寄る名所旧跡と知られるようになり、浄瑠璃や歌舞伎で人気の「曽我兄弟」の物語や伝説などと結びつけられ俗称として広まりました。
二十五菩薩。元箱根石仏群で一番古い1293年に造立。
平安時代の中頃から浄土信仰が盛んになります。二十五菩薩は、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに来る菩薩の一団。国道1号を挟んで西側に23体、東側に3体の計26体が彫られています。内訳は阿弥陀如来1体、地蔵菩薩25体。
アングル変えつつアップでどうぞ。状態が良いですね。
国道1号を挟んで東側。
曽我兄弟と虎御前の墓(五輪塔)。1295年に造立。
五輪塔は、平安末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになります。仏教でいう地水火風空の五大を表しています。構造は、下から方形(六面体)=地輪、円形(球)=水輪、三角形(四角錐または三角錐)=火輪、半月形(半球)=風輪、宝珠形(上の尖った丸)または団形(尖っていない団子型)=空輪によって積み上げられています。
五輪塔付近の国道1号最高地点からダウンヒルし千条(ちすじ)の滝へ。落差はありませんが幅があり千条の流れが美しく趣きがあります。
さらに下ると太閤石風呂。
名前の通り、豊臣秀吉が小田原征伐の際に、将兵をねぎらうために造ったといわれる石風呂。現在は涸れていますが、十数年前までは湯けむりが上がっていたそうです。千条の滝も太閤石風呂も蛇骨川に位置します。蛇骨川とは凄い名前の川ですが、温泉中の珪華(けいか)の沈殿層に木の葉が落ち、蛇骨状の模様になることから由来しているそう。
宮の下から湯本に国道1号を下りていきます。この辺りは交通量が多く道幅が狭いため注意が必要。安全ライドでいきましょう。湯本付近に下りると横穴式温泉採取跡があります。早川凝灰角礫岩の地層の割れ目から湧出する温泉をたよりに、手作業で堀り進められた横穴式の源泉跡。湯本温泉の発祥の地でもあります。開湯は奈良時代のことです。
箱根湯本駅付近に戻りお土産タイム。和菓子屋さんの「湯もと本舗ちもと」さん。箱根に暖簾を出して60余年の老舗。何より真面目に和菓子を作り続けているのが素晴らしい。
店内もしっとりとして真面目さとこだわりが伝わります。
御菓子もとても美味しいですよ。
白石地蔵。鎌倉時代の造立といわれています。
こちらは凝灰岩のために風化が激しい。面相が風化してしまってるのが少し残念。
私の箱根土産。
金指ウッドクラフトで茶托を5枚ほど。茶托としてももちろん使えますし、この様に和菓子などをのせる銘々皿としてもイイ感じです。和菓子はちもとさんで。上は八里。鈴をかたどった最中(こしあん)。下は湯もち。白玉粉を練り上げたお餅の中に細かく刻んだ本練羊羹を切り入れ、柚子の香りでさわやかに仕上げたなめらかな御菓子です。
箱根の観光サイクリングは、がっつり走りながらも見所がたくさん。ご都合がつく方は是非ともご参加下さいませ。ポイント毎にしっかりとご案内いたします。