観光サイクリングin八王子の下見をしてまいりました。
まずは八王子千人同心屋敷跡。甲州街道と陣馬街道の道が二つに分かれる場所(追分)にありました。1590年6月23日に八王子城が落城し、同7月に北条氏が滅びます。同8月に徳川家康が関東入国する頃に甲州口の警備をするため甲州小人頭など250人が八王子城下に移って担当します。1591年に大久保長安が八王子の奉行となり八王子宿の建設、警備の人数を500人に増員。1593年に警備の拠点を八王子城下から千人町に移します。1600年に甲州口の守りをかためるために千人に。1868年、明治維新によって千人隊は解体。
八王子宿の南側にあった大久保長安陣屋の跡地。産千代稲荷神社。当地に陣屋を構えた長安は、敷地の西南に位置した当地に鬼門除け・五穀豊穣・殖産興業の神として倉稲魂命(ウカノミタマ)を祀り当社を創建。
社号の「産千代」は千代に続くようにとの願意によると伝えられます。
八幡八雲神社へ。1922年(大正11)の狛犬がお出迎え。
八幡八雲神社の境内には横山神社も祀られています。平安時代後期から室町時代まで活躍した武蔵武士(武蔵七党)のひとつ横山党の本拠地である横山荘があったのがこの地と推定されています。横山党は保元の乱や平治の乱に従軍し活躍、さらに源頼朝に仕え鎌倉幕府の樹立に貢献、しかし1213年(建暦3)和田合戦の敗戦によって横山党は歴史の表舞台から消えることとなります。1214年(建保2)、この地を代わって治めた大江広元が、横山党の始祖横山義孝を祀った横山神社を八幡八雲神社の境内に創建しました。
横山神社の近くにある妙薬寺には、横山氏末裔の横山将監小野秀綱の供養塔があり、この宝篋印塔は1560年(永禄3)に造立された貴重な史跡。
八王子市役所(トイレがあって助かります)近くの鶴巻橋。1983年に造られた橋なのですが、橋本次郎氏作のブロンズ像が8体設置されています。
千人同心の像もあったりで、ぐるりと回ると結構楽しいです。鶴巻橋のすぐ西側には南浅川と北浅川の合流点があります。こちらも大久保長安が治水対策として、南浅川の流れを北浅川に直角にぶつけるように水路を変えたそうです。
昼食は超有名店の八王子みんみんラーメンさんへ。(混雑時などは変更あり)
クラシックな八王子ラーメン。
・醤油ベースのタレ
・表面を油が覆っている
・きざみ玉ねぎを具として用いられている
が八王子ラーメンの定義だそうです。
ランチ後は今ツアーの核心である八王子城巡りへ。
まずはガイダンス施設でお勉強。綺麗なトイレもございます。
まずは本丸へ。本気なハイキングになるので頑張りましょう。
新道を進むと石垣跡。
尾根をひな壇状に造成した金子曲輪。
柵門台の手前には連続大石垣の跡。
八王子神社と横地社。
八王子神社は、913年(延喜1年)に華厳菩薩妙行が、東京都八王子市の深沢山山頂で修行中に牛頭天王と八人の王子が現れ、その因縁で916年(延喜16)深沢山に八王子権現を祀ったと言われています。仏教の守護神である牛頭天王(スサノオと習合)には頗梨采女(はりさいじょ)との間に8人の子(八王子)がいるとされており、これを祀ったのが八王子神社だということです。
横地社は横地監物を祀っています。北条氏照が小田原城に詰めていたため、八王子城の戦いの責任者だった横地監物。八王子城を脱出し檜原村に落ち延びる途中に切腹したとされます(諸説あり)。横地社はもともと奥多摩に祀られていましたが、奥多摩湖を造るため(湖底に沈む)に1957年(昭和32)八王子城に移されました。
八王子城本丸。ゆっくりペースで下から40分登ります。
小宮曲輪や松木曲輪に立ち寄って旧道を下山。滑りやすいので少し注意が必要です。
下山後は御主殿跡へ。
段差の大きい石段を登ると冠木門がお出迎え。
北条氏照の館などがあったとされる広大なスペース。礎石などの位置がわかるように復元的整備をされています。
御主殿の滝。
落城時に御主殿にいた北条方の武将や婦女子らが、滝の上流で自刃して次々に身を投じ、その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったと伝えられます。
京王御陵線橋脚跡。
1931年(昭和6)から1945年(昭和20)まで運行していた御陵線。住宅地にこのような大きな遺構が残ってるなんて奇跡的ですね。
最後はパティスリータツヤササキさんへ。
りんごのタルト。
かぼちゃのタルト。
と〜っても美味しいパティスリー。絶品のタルト、そしてジャムもおすすめです。
こんな感じで巡って行く八王子サイクリングツアー。ご参加予定の皆様、当日はさらに詳しく説明していきますのでお楽しみに〜♪