観光サイクリングin秦野の下見に行ってきました。
秦野盆地湧水群で有名な秦野。自転車でアプローチしやすい湧水地を9ヶ所ほど巡っていきます。まずは駅から近い弘法の清水。
「弘法の清水」の伝説
ある夏の日のこと、一人の旅の僧が水を恵んでもらおうと、ある農家を訪れましたが、その家には水がありませんでした。「ちょっと待って下さい。」と外に出た娘はなかなか帰ってきません。水を求めて遠くまで行ったのでした。
僧は大変感謝し、持っていた杖を地面につくと、そこから水が湧き出てきました。後になって、旅の僧が、弘法大師とわかり、この井戸を弘法の清水と呼ぶようになりました。
(秦野観光協会HPより引用)
年間を通して16℃前後なので冬でも少し温めに感じて飲みやすいです。
秦野駅から蓑毛方面へ緩やかな登りを北上すると波多野城趾へ。
新編相模国風土記稿によると平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した波多野氏の城址があったとされています。ただし、発掘調査による遺構は残念ながら発掘されておらず、すぐ近くにある東田原中丸遺跡ではないかとする説もあります。
その東田原中丸遺跡は秦野市田原ふるさと公園として整備されていて、鎌倉幕府三代将軍であった源実朝の首塚があります。鶴岡八幡宮で公暁に暗殺された実朝ですが、歌人としても有名で「金槐和歌集」を残しており、五輪塔の周囲には歌碑も立っています。
また当初の五輪塔は木製だったようで、鶴岡八幡宮の鎌倉国宝館に源実朝の木造五輪塔が保存されています。現在の石造五輪塔は実朝の33回忌である1250年に建て替えられたと伝えられています。
曽屋に移動し秦野水道発祥の地へ。
この周囲には乳牛通りや醍醐道という道があり、故梅沢英三氏はその著「秦野地名考」で乳牛(ちゅうし)は牛乳を飼っているところ。醍醐道はその牛乳を精製したものを賞味できる道。そして曽屋は曽つまり牛乳を煮つめて造る食品、今のチーズのような物を生産する家のあるところと解釈できないかという。秦野は渡来人の秦氏が開拓したとも云われています。秦氏が渡来したとされる時期が、牛の伝来時期と重なることからも信憑性は高いような気がします。太秦の広隆寺の牛祭りは有名ですしね。
さて秦野水道は明治18年起工の横浜市から遅れること3年、函館市の次に秦野は日本で3番目に近代水道を整備しました。陶管で整備したため「夏は冷たく、冬は温かい」という特徴がありましたが、陶管は割れやすいため大正12年の関東大震災で大破し陶管は全て消え去ります。震災後は鉄管水道として整備されました。
秦野は湧水群で有名ですが、曽屋地区は地下水が深く当時の技術では井戸を掘ることが極めて困難、また明治12年に用水路を介してコレラが流行し25名の犠牲者を村内から出してしまったことなどによって、近代水道を整備することとなりました。
ゐのくちポンプ(左・昭和25)、ゐのくち式タービンポンプ(右・大正15)。
東京大学教授の井口在屋(いのくちありや)の「渦巻きポンプの理論」から実用化した機械装置。
大正14年竣工のポンプ室。
秦野水道発祥の地から道路を渡ったところにある曽屋神社。
曽屋神社は江戸時代には井明神社(いみょうじんじゃ)と呼ばれていましたが、明治6年(1873)に村内の他の6社と合わせて曽屋神社となり、境内には護国神社も建立されています。神社HPによると1,190年前の御鎮座と長い歴史を誇ります。
井之明神水。地下水が深いため井戸を掘っても水が出にくいため、この地域の生活用水として利用されていました。
護国神社は国家のために殉難した人の英霊を祀るための神社。明治時代に日本各地に設立された招魂社が昭和14年(1939)に改称され護国神社となりました。指定護国神社は1府県1社を原則として指定されましたが、東京都と神奈川県には指定護国神社がないのが興味深いところです。代わりに東京には靖国神社がありますが、神奈川県は戦争中に三ツ沢に社殿造営していましたが完成間近で空襲により焼失。以後はなぜか護国神社は造営されず、神奈川県戦没者慰霊堂と伊勢山皇大神宮が慰霊を行っています。
そして注目は社号額です。揮毫の大川周明は昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。昭和14年に「日本二千六百年史」を上梓するや、官憲の弾圧を受けつつも大ベストセラーとなります。また、NHKラジオで連続12回演説し、国民・将兵の士気を鼓舞した。このため、日本思想界の象徴とみなされA級戦犯に指定されますが、精神疾患を理由に免訴、釈放されました。その後、コーラン全文の翻訳に傾注し完結した方です。東京裁判で東条英機の頭をペチペチと叩いていたことでも有名です。
A級戦犯には、大川周明や「シオンの議定書」の邦訳をした四王天延孝など大天才がいらっしゃったんですよね。良い悪いは置いといて戦前は凄い方が多い。
乳牛通り。「ちゅうしどおり」と読みます。
古代日本においては、牛の乳を醗酵させて「蘇(そ)」「醍醐(だいご)」というチーズに似た食べ物がつくられました。
牛の乳が熟すにしたがって変化する五つの味、乳味(にゅうみ・牛乳)→酪味(らくみ・ヨーグルト)→生酥味(しょうそみ・生バター)→熟酥味(じゅくそみ・精製バター)→醍醐味(だいごみ・チーズ・精製バターを溶かしたときにできる上澄み)。醍醐味が乳製品の最高のものということが醍醐味の語源になっており、仏教語でもあります(五味)。
白笹(しらささ)稲荷神社へ。関東三大稲荷に数えられています。(その他は笠間稲荷と装束稲荷)
稲荷神社といえば赤い鳥居と、
狐ですね。
神社のあとは白笹うどんさんへ。
おすすめは、白笹うどんのざるを大盛&天ぷらorおでん!
という組み合わせがよろしいかと。
昼食後は再び湧水巡り。秦野市立南公民館の敷地内に、
まいまいの泉。螺旋状にカタツムリの形状になった水場。
近くにある杜の豆腐工房三河屋さんの敷地に兵庫の泉があります。
こちらの豆腐は美味しいのでお土産にどうぞ!
秦野市平沢在住の和田大(はじめ)さんが、自宅裏庭に古くからある井戸水を生かした湧水池「兵庫の泉」を制作。自宅裏庭からパイプを約75m通し、土地の高低差を利用して誘引。和田家は初代和田兵庫(1420年誕生)から約600年続くそうです。
またまた近くの公園には、どうめいの泉。
出雲大社相模分祀。二礼四拍手一礼で有名な出雲大社の分祀です。ちなみに大分県の宇佐神宮や新潟県の弥彦神社も二礼四拍手一礼。
境内にある千年の杜を奥に進むと、
ゆずりの泉があります。
ビジュアル的な印象によるかもですが、とても美味しいお水です。
渋沢峠方面へ移動し室川沿いにある若竹の泉。
谷津湧水は分かりにくい場所にあるのですが、須賀神社近くのこの看板が目印です。
小道を少し登ると水場らしきものが目に入ります。
水量豊富な谷津湧水。
渋沢峠へヒルクライムし峠バス停の向かいにある峠の湧水。
昭和50年までは出雲大社相模分祀はこの付近にあったようです。
水無川近くまで移動し桜土手古墳公園にある「はだの歴史博物館」へ。
秦野たばこ、土器、鎌倉時代から江戸時代の各種資料、近代の軽便鉄道などが展示されています。
桜土手古墳群は35基の古墳が確認され、古墳群として県内でも最大規模といわれています。写真は復元古墳です。
秦野駅近くに戻り「しらはまシェフの店」へ。チーズケーキ専門店です。
しらはまチーズケーキ人気爆発、からの破産、さらに設備・レシピ・スタッフ、全てを盗まれるという経緯を持つお店。横浜に展開する「ガトー横浜」さんは正式に継承され販売しているそうですが、他のお店でコピー商品を販売され裁判沙汰にまでなったようです。
定番のプレーン以外にも様々な種類のチーズケーキを作っています。
安定の美味しさ♪
名水の秦野をサイクリング。マイカップをご持参の上ご参加くださいませ。秦野でお待ちしていま〜す♪